HISTORY 歴史

時の流れとともに美しく、
豊かな街を目指して変貌してきた「津田沼」

歴史|津田沼ザ・タワー
遠い昔から人が暮らし、江戸と千葉を結ぶ要路として発展したきた津田沼。2007年にスタートしたJR津田沼駅南口一帯での土地区画整理事業による大規模な街づくり開発に伴い、2013年に「奏の杜」がまちびらきしました。その後、商業施設や飲食店、クリニック、スポーツクラブなどが誕生し、多世代が落ち着いて暮らせる街として、発展を続けています。

遠い昔から人が暮らし、
江戸と千葉を結ぶ要路として発展してきた街、津田沼

歴史|津田沼ザ・タワー
習志野市立第一中学校周辺から谷津貝塚が発見され、JR津田沼駅南側では奈良・平安時代の集落の痕跡が確認されています。江戸時代には、海岸沿いの房総住環(現在の千葉街道)や東金(御成)街道は参勤交代や農作物の輸送に利用されていました。大正時代には海岸部に谷津遊園がオープン。台地エリアは畑として活用され、津田沼駅南口一帯は駅前を除いて、にんじん畑が広がる長閑な風景が広がっていました。

「秦の杜」。
様々な人が幸せの暮らしのハーモニーを奏でるような街

歴史|津田沼ザ・タワー
2007年、JR津田沼駅南口一帯で土地区画整理事業による大規模開発のまちづくりがスタート。2010年、新しく誕生する街に「奏の杜」という名前が付けられ、2011年、住民自らが中心となり守り育てていく運営組織「奏の杜パートナーズ」が設立。景観や環境を守りながら整備を進めるためのまちづくりガイドに従って、マンションや戸建住宅、公園などが整備され、美しい街並みが生まれました。そして、2013年4月には「奏の杜」まちびらき式典が開催されました。その後、商業施設や飲食店、クリニック、スポーツクラブなどが誕生し、多世代が落ち着いて暮らせる街として更なる発展を続けています。
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